キューバ国立芸術大学

キューバという国名を聞いてチェ・ゲバラ以外を思い浮かべられる人はそういないだろう。少しおしゃれな人だと葉巻とサルサ、さらに分かる人だとハバナクラブの12年と16年・・・とそれはさておき、この国は日本のほぼ真裏にあり日本からの直行便も夏休みの限られた時期以外全くなく、さらに共産主義国家=北朝鮮という最悪のイメージのある日本人からはいろいろな意味で遠い国である。また首都ハバナには実際これといったベタな観光名所はあまりなくビーチも街の中心部からは外れるので、酒と葉巻に何の興味のない人にとってはあまり面白くないのは事実である。しかし、もし街並みを散策するだけで楽しいと思えるような人にとってはハバナは最高の場所である。
「僕らは世界で一番美しい街に住んでいる。」
『苺とチョコレート』というキューバ映画の中で主人公がハバナの旧市街地を見渡しながら呟くシーンがあるが、これはあながち誇張ではない。ハバナ旧市街地はスペインの植民地下で大量に建設されたコロニアル様式*1の住宅が軒を連ねており、『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』で描かれているままの風景がそこにあるのだ。皮肉ではあるがこの国の長い政治的混迷の中で建て替える技術も経済的余裕もなく、少しずつ修繕されながら住まわれ続け、結果、他のコロニアル様式を持つ都市に比べて格段にその保存状態が良いのである。そしてこの旧市街地のはずれに突如現れる異形の建物こそ今回紹介するキューバ国立芸術大学である。
この大学はその名のとおり芸術大学で音楽から美術、舞踊、映像とほぼ全ての芸術に関する学科が集められている。キューバというのは実は南米では非常に芸術が盛んな国であり、たとえばハバナ国際映画祭というのは南米の映画祭の中では著名なものである。そしてこの大学はそうした芸術の担い手を育てるためキューバ革命後に設立され、特に舞踊科のスタジオとしてとびっきり前衛的な建物が設計された。委託されたのはキューバ出身のアバンギャルド建築家リカルド・ポロ。彼は80歳を過ぎた今も現役でパリを中心にいくつかの実作を残しているが、多くはプロジェクトに終わり現在ではあまり顧みられることのない建築家である。他のアバンギャルド建築家も同様だが、こうした建築家の作品というのは紙の上で見ている限りではカッコよく見えるが実際に建ってみるととても「残念」な作品になることが多い。理由は単純で、実際に建てる方法を知らないのである。アバンギャルド建築家は往々にして学生時代からその舌鋒とセンスの良さで高く評価されるが、実務経験を経ないまま建築家となるためアイデアやコンセプトが面白くても結局それをかたちにできないわけである。ポロ自身も作品が建つようになったのは1990年代以降のことである。個人的にはあまりそういう建築家の作品というのは好きでないのだが、ハバナでは他に見るべき近代建築もないのでまぁ見るだけ見てみるかと行ったのだが、これが想像よりずっと良いのだ。確かに外見を見る限り非常にコンセプチュアルで異形なのだが、内部に入ってしまうとそんな外観からは想像できないくらい自然で心地よい空間が広がっていたのだ。
外観は見てのとおり人間か何かの内臓のようであり、円形平面ドーム形の建物を曲線の廊下が非常に有機的に結び付けている。その曲線も何かあまり美しくなく不定形で、文字通り有機的な雰囲気である。このという建築家、設計のコンセプトはまさにその「有機的建築」であり、彼の残したドローイングやコンセプト模型を見るとカエルが解剖されたようなプランなどかなり尖がった建築家だったことが分かる。そもそも有機的建築なるコンセプトはモダニズムの均質性批判から生まれたポストモダンの一つの流れであるから、自然界に存在する構造や形態を模倣しようという建築家は当時多くいたが、ここまで直接的な表現をした建築家は珍しいだろう。
エントランスらしき大きなヴォールトの通路に足を踏み入れると、徐々に天井が低くなっていき、うねうねと通路が蛇行し始める。周囲の豊かな木々、大小さまざまなドーム、そしてドームの間に発生する不整形な中庭。景色が次々と変化し、さまざまな空間が出現し、徐々に自分が建物の内部にいるのか外部にいるのか分からなくなってくる。がっしりとしたRCとレンガの躯体を持っているにもかかわらず、建物の内外を隔てる明確な境界がなくどこまでも空間が続いているかのような奥行き感を持っているのだ。ここでふと思ったのは、こういう感覚は、建物の境界面に着目したここ数年の流行建築のそれと少し似ているということである。たとえば妹島和世の作品のようにゆるやかに外部と内部が分割され内とも外とも言えない曖昧な空間を持っているようなものである。もちろん両者には何の接点もありはしないのだが、偶然いま流行りの建築と似た性質のものが半世紀近くも前に中米の共産主義国家で生まれていたというのはなんとなく面白い。さらにこのコンセプチュアルな形態がRCと煉瓦という非常にブルータルな素材のみで造られているのも興味深い。もちろん設計者がブルータリズム*2に傾倒していたとは考えにくいので純粋に技術的制約からこの素材しか扱えなかったのだろうが、これがキューバという荒々しい大地にこの特殊な形態をうまく根付かせている。僕が行ったときにちょうど始まった大規模な修復工事でもかなりざっくりした施工をしているのだが、それでもオリジナルの状態とさほど変わらないように復元できているのは設計者が現地の人間の施工レベルを熟知していたためだろう。
いずれにせよこんな地の果てでこういう素晴らしい建築を見つけられたのは本当に嬉しいことであった。だから旅はやめられないのだ。


施設名称:Instituto Superior de Artes
設計者:Ricardo Porro
施設用途:教育施設
竣工:1961
住所:Calle 120 #1110 e/9na y 13. Cubanacan. Playa. Ciudad de la Habana. Cuba.
最寄駅:なし
参考HP:http://fr.wikipedia.org/wiki/Ricardo_Porro

*1:スペイン人などが高温多湿の植民地で生活するために用いたデザイン。厳密な定義はないが、四周にテラスを廻らせ、瓦屋根に白壁といったスペインの一般住宅をもとにデザインされた。日本でも横浜など旧外国人居留地にいくつか現存する。

*2:近代建築の均質性への反動から、土着的志向性を持つ建築。シャンティガールなどの後期コルビュジエ作品などが代表作品といえる。