円明園−西洋楼遺跡

僕は北京の人間や気候はどうしても好きになれないのだが、それでも北京という場所は間違いなく独自の魅力を持っている。すなわち、皇帝のための場所という魅力である。いわゆるヒューマンスケールなどというものにとらわれることのない、まさに宇宙で一番偉い皇帝にふさわしく、何もかもが巨大で果てしないのだ。紫禁城を囲むように東西南北に配置された月壇、日壇、地壇、天壇の四つの公園はもともと皇帝が月、太陽、大地、宇宙と向かい合う場所としてつくられたものであるが、こういう発想をこの規模で実現した都市を僕は他に知らない。そしてその皇帝が夏の避暑地としてつくりあげたのがこの円明園である。
ちょうど真隣に位置する頤和園世界遺産に指定されたことから一般の観光客の多くはそちらに流れてしまうが、ある意味こここそが世界的な遺産だと僕は考えている。この公園そのものは清代の皇帝たちによって150年をかけてつくりあげられ、その後第二次アヘン戦争時にイギリス・フランス軍によって完全に破壊される。そしてこの公園内にある西洋楼遺跡はその歴史を如実に物語っている。この西洋楼遺跡にはかつての建物がその破壊された状態のまま放置されており、いわゆる廃墟という名にふさわしい独自の風景を生み出しているのだ。そして西洋楼という名の通り、建物はすべて古典主義を真似た擬洋風でつくりあげられており、スケールやディテールのおかしな古典主義建築が点在している。中国の擬洋風建築且つ廃墟化という二段構えの面白さである。
そもそもなぜここがこういう状態で保存されているかというと、建前としては愛国教育の名のもと憎き帝国主義の所業を後世に残さんということなのだが、おそらく単純に復元するだけの予算が準備しにくかったのだと思う。ちょうど先日この西洋楼の復元が決定し総額200億元(1元15円とすると3000億)のお金がつぎ込まれることになったのだが、まだまだ国内で歴史的な面やその膨大な金額の面などで議論が噴出しているため、本当に完了できるのか疑わしい。
ところで僕はこの復元には反対である。200億元もかけて復元することがどの程度の経済効果を生むのか全く分からないというのがひとつ。観光客がどの程度増えるのかも分からないし、多少増えたところで周辺の景気が底上げされることは考えにくい。もうひとつは、ここが歴史というものを言葉や絵ではなくモノそのものとして明確に示してくれる稀有な場所だからだ。復元が全くなされていない(若干の修復はあるが)ということは200年以上の年月を経て廃墟になり、いまこの瞬間にもそのプロセスを辿っている場所を目にすることができるわけだ。さらにこの場所には誰もが土足で入っていくことができ、その廃墟化のプロセスをただ目で見るだけでなく身を持って経験することができるのである。そうした場所が都市に担保され重積されていくことが、今後大都市が独自性を保持するために重要だと考えている。もし円明園の廃墟が一掃されそこにピカピカの「遺跡」が復元されたとしても、それはできの悪いディズニーランド以上のなにものでもない。200億元という途方もないお金をつぎ込むことで得られるものと失うものを比べれば、あまりに費用対効果の悪い話であることは明らかなのだ。
まぁ僕にできるのは、柱からもげたイオニア風飾りのうえに腰を下ろしピンク色の夕日が沈むまで壮大な歴史に思いを巡らしつつ、この楽しみが奪われないよう願うことくらいなのだが。
施設名称:円明園西洋楼遺跡
設計者:不明
施設用途:公園
竣工:1725
住所:北京市海淀区清華西路28号
最寄駅:五道口駅からタクシー