雍和宫

日本的空間の一つの特徴はその「奥行き性」にあると言われる。たとえば銀座中央通りから一本入ってどこに行きつくか分からない路地をするすると歩く、たとえば明治神宮で本堂に至るまで延々と曲がりくねった道を行く、たとえば京の寺社でエントランスから日本庭園に至るまでのシークエンスを楽しむ。こういう見えそうで見えない、次の展開が分からない、どこまでも続いていくかのような空間のあり方がすなわち奥行き性と言える。代官山ヒルサイドテラスなどで有名な槇文彦の名著『見え隠れする都市』ではさまざまなかたちで東京に存在するこの「奥の思想」が紹介されているし、日本の住空間は「締」「縁」「間」「奥」「離」の五つの基本原理があって云々という話は各種文化論や建築論でさんざん取り上げられていて、まさに奥の深い話なのである。ただそんなハイソなことを言わずとも日本人はなぜかみんな路地のような細い空間が好きで、海外に行っても必ずそういう場所の写真を撮ってしまう。僕もそういう空間が大好きで京都の寺社を巡ったりして「やはり奥行き性は日本の文化ですなぁ」などと言っていたのだが、実はそういう日本の奥行き性とは全く異なる、しかしやはり奥行き性という言葉以外では表し得ない空間があることを僕はこの雍和宫で知ることになった。
中国の寺社建築というのは日本のそれとは異なり、基本的に敷地内には明確な軸線が存在し建物はすべて左右対称に配置されていく。この雍和宫もまさにその通りで、塀に囲われた四角形の敷地の中にいくつかの建物が存在していて参拝者は軸線に沿って奥へと進みつつ各お堂で線香をあげていくことになる。要するにここに来る人はあっちこっち視線や動線を移すことなくまっすぐ進んでいけばいいので、この基本構成だけから見ればいわゆる日本的奥行き性からは無縁なのである。
しかしここはそう問屋が卸さなかった。まず参道を通って門をくぐると大きな長方形の中庭(左図)に出る。参拝者ならまずこの中庭正面にある天皇殿(一階建)で参拝する。ここまでは普通だ。天皇殿を抜けると新たな中庭に出るのだが、ふと前の中庭よりその東西幅が狭くなっていることに気づく。さらに出てすぐの場所には四体文碑亭という大きい祠がドーンと鎮座しているため中庭が二つに分割されているように錯覚し圧迫感を受ける(右図)。
四体文碑亭を回りこんで二つ目のお堂である永佑殿(二階建)を超えると三つ目の中庭が出現し、今度は東西幅はそのままに南北幅が圧縮されてますます圧迫感が増してくる(左図)。そしてこの中庭に面する法輪殿(三階建て)を超えると眼前には25mを超えようかという巨大な万福閣が聳え立っており、且つそれに面する四つ目の中庭は南北方向にギューッと圧縮されているため、万福閣がものすごい勢いで迫ってくる(右図)。ここがいわばメインディッシュといったところだろうと思い皆やれやれと一息つくのだが実はこれが最後ではなく、路地のような脇道をすり抜けていくとさらにそこには最後のお堂であるダ成楼(二階建)がある。これは中庭とは呼べないほどの細い外部空間を万福閣との間に持っているだけで、圧迫感を超えて何かポケットの中にすっぽり入ったかのような心地よさがある。
と、ここまでいろいろとシークエンスについて書いてきたわけなのだが、要するに雍和宫の中には中庭の規模と建物の高さによってさまざまなスケール感が生み出されており、強い左右対称性と軸性を持っているにもかかわらずそれは「奥行き性」と呼べるような空間を持っている、ということなのだ。まぁ奥行き性などという概念は所詮個人個人の価値観によって名付けられるものなのだから、世界じゅういろいろなところにさまざまな価値観に基づく奥行き性があるのだろうが、僕の視点からはこの場所がそういう日本的奥行き性とは異なる新たな奥行き性を持っているように感じられたのであった。
ではなぜこういう空間的操作が必要だったのだろうか。それはここに安置されている仏像たちと関係がある。天皇殿、永佑殿、法輪殿、万福閣、ダ成楼それぞれの中には仏像が納められていて参拝者は各所で線香をあげて進んでいくわけなのだが、さきほど書いた建物の規模高さに比例して中の仏像も徐々に大きくなっていくのだ。万福閣に至っては外からは大仏様の足しか見えず、中に入ると18mを超える巨大な仏像に圧倒されることになる。すなわちこの長いシークエンスは仏の偉大さ知らしめ信仰心を喚起させるための巧妙な空間装置なのである。もちろん宗教建築というのは他の建築プログラムと大きく違って感動させることがその主目的なわけだからそれは当然なんだが、でもそれを誰にでもわかりやすいかたちで表現し緻密に設計していくというのは非常に難しい。
ところでこの雍和宫はラマ教の総本山として清朝時代に国家事業として整備されたものであるため、他の寺院ではあまり見られないような状況を目にすることができる。少数民族である満州族が圧倒的大多数である漢民族蒙古族などの他の民族をまとめていたことは有名だが、それ故いくつかの碑文は漢語、チベット語満州語モンゴル語で書かれている。また乾隆帝自身によって建設されたため皇帝のシンボルである黄色の瑠璃瓦が葺かれている。そして何よりちゃんと参拝している人がとても多いのが印象的である。ちゃんとというのもおかしな話なのだが、寺院でも教会でも有名になってしまうとどうしても参拝者よりも観光客が多くなってしまうのが常なのに、ここは老若男女多くの人がひっきりなしに参拝しているのだ。北京大学の友人に聞いたところでは受験生も多く参拝に来るそうなのでラマ教に限らず広く参拝の対象になっているのかもしれない。

施設名称:雍和宫
施設用途:宗教施設
竣工:1725
住所:北京雍和宫大街12号
最寄駅:雍和宫駅
参考HP:http://www.yonghegong.cn/